憲法をボケ扱いしてはいけない

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 私の机の上に漫画が一冊あります。タイトルは「ほのぼの一家の 憲法改正ってなあに?」。64ページの小冊子です。裏表紙に「自民党」と書かれており、奥付には「制作 自由民主党憲法改正推進本部」(初版 平成27年4月発行)とありますから、今年に入って、国民の理解を得ようと自民党が作ったものでしょう。

 ほのぼの一家のじいちゃん千造さん(92)は、憲法改正論者のようですが、安倍総理に聞かせてあげたいようないいことを、言っています。
 「日本人みずから自分たちの将来をしっかり考えていくことが必要なんじゃよ」「そのためには国の基本を定める憲法と正面から向かい合うことじゃ」

 「憲法と真正面から向かい合う」。護憲論者も改憲論者もその通り、と思うでしょうね。

 

憲法を直視しない首相

 

 日本の憲法は今年5月3日で68歳になりました。しかし安倍首相は「憲法と正面から向かい合う」どころか、逃げまくっているようにしか見えない、というのが最近の印象です。集団的自衛権を含む安全保障関連法案が違憲か合憲か、をめぐって憲法論議が高まっているのに、目をそむけているように思えます。私たちは憲法をどのように考えたらいいのでしょう。

 半世紀も前のことですが、大学のクラブに入って最初に課せられたことは、エイブラハム・リンカーンのあの有名な「ゲティスバーグ・アドレス(演説)」を暗誦することでした。アメリカの16代大統領です。

 南北戦争の激戦地、ゲティスバーグは、7月の暑さの中で、8000人の遺体の腐敗臭と5000頭の馬・ラバを焼く臭いが充満していました。3ヶ月後の1868年11月19日に演説は行われましたが、遺体の埋葬は三分の一しか済んでいなかったそうです。(「リンカーンの3分間 ゲティスバーグ演説の謎」ゲリー・ウィルズ著・北沢栄訳=共同通信社)。

 演説の締めくくりに「人民の(of the people)、人民による(by the people)、そして人民のための(for the people)政治」という、有名な一節があります。この部分が日本の憲法に使われている(注1)ということを知ったときは深い感銘を受けたものでした。

 日本の憲法はゲティスバーグ演説だけでなく、米国の独立宣言などいろいろな文書が反映されていますが、それが裏目に出ているのでしょうか、現憲法が外国のコピーとか切り張りとか、他人から与えられた憲法といった批判が絶えないのは、感銘を受けた一人として残念なことです。

 

「違憲判断」へのためらい

 

 最高裁判所は憲法81条(注2)で「違憲審査権」が与えられています。しかし、安倍首相は違憲審査権の「本質」をよくご存じなのだろう、と思うことがあります。それは三権分立とは言うものの、「国会は、国権の最高機関」と憲法41条で決められているからです。加えて「正当性」の問題があります。国会議員が選挙という民主主義の手続きに従って選ばれているのに対して、最高裁長官は内閣が指名し、天皇が任命することになっています。他の裁判官は内閣によって任命されますが、いずれにしても内閣が決めるのです。選挙といった民主主義的選ばれ方をしていない、ということが国会議員と大きく異なる点になっています。

 だから裁判官が、国民に選ばれた議員の決定を「憲法違反だ」と言うのは民主的正当性に欠ける、という議論が出てきます。私は最高裁判事には政治家にコンプレックスでもあるのかしら、と思ってきましたが、あるとすれば、正当性論議が生んだコンプレックスといえるでしょう。

 

司法消極主義

 

 確かに、昨年12月の総選挙で国会議員を選んだ有権者は5000万人を超えました。その議員が賛成した安全保障関連法案を、15人の最高裁判事が違憲だ、というのは民主主義の否定だ、という理屈は分からないわけではありません。正確に言うと15人のうち過半数の8人で決められるのです。だから最高裁からすると「違憲判決には慎重にならざるを得ない」ということになり「司法消極主義」とか「消極的立憲主義」とかの言葉が生まれました。

 学者と最高裁判事を経験した伊藤正己氏は「裁判官と学者の間」(有斐閣)という回想記で、最高裁における憲法裁判はかなり特異だと指摘しています。特異な点として、憲法判断の著しい長期化と違憲判決が極めて少ないことの二点を挙げ、「消極主義の批判はあたっている」と、次のように書いています。
 「学説はたとえ影響力が強い場合であっても、研究者の見解にとどまるのに反し、裁判は一種の国家意思を形成する機能をもつのであり、当然にそれだけの慎重さが求められる」「裁判官の思考には現実との妥協がつねに重要な位置を占める」「合憲の判断をする場合には比較的ゆるやかに憲法上の争点に立ち入るが、違憲判断が予想されたり、そうでなくても憲法解釈について深刻な対立のみられる場合には、憲法判断回避の手法がとられることはたしかである」

 一連の安全保障関連法案について、3人の学者が「違憲」との判断を示した(注3)のに対し、安倍首相が「最終的に判断するのは最高裁であって学者ではない」と述べた時は、逆に驚きました。「えっ、あなたは最終的に判断するのは最高機関の長である自分だと思っていたのではないですか」と思ったからです。

 最高裁は1952年に「警察予備隊」設置に関して、当時の日本社会党が違憲訴訟を起こしました。これ対して、最高裁は具体的な事例がなければ判断の対象にならない、として社会党の請求を却下しました。この判断は今も有効で、「安全保障関連法案」そのものが違憲か否かを争うことはできません。一連の法律によって、なにか具体的な不都合や損害などが発生しないと、訴訟の対象にならないということになります。今回、法律の成立で「平和的生存権が侵害され、精神的苦痛を受けた」として損害賠償などの訴訟を起こす動きがある、と報道されています。「精神的苦痛」のような具体的なケースがあって初めて憲法論議にたどり着けるのです。これまで最高裁が出した違憲判決は9件だそうです。

 

「一票の格差」に見る「政治の消極主義」

 

 安倍首相はこの消極的立憲主義をよく理解しているように思えます。最高裁判所が「国権の最高機関」の政策について簡単に判決を出すわけがない、具体的な事例が起きるまで違憲訴訟は起こしにくいだろう、そして裁判は長期化するだろう。こうしたことを知りぬいている言動に思えます。「一票の格差」が「違憲状態」「違憲」と判断されても、格差是正に努めようという姿勢が長い間感じられませんでした。やっと来夏の参院選では「2合区」でお茶を濁すことになりましたが、格差は依然として2.97倍にとどまります。

 憲法を直視しない首相、それをとがめることができない政治、判断を避ける司法。とくに、とがめることができない公明党には心底、失望しました。以前、日本の将来を握っているのは外資と公明党だ、と書きました。その時は若干の期待もあったのですが、見事に外れてしまいました。

 そんな状況で飛び出したのが、安全保障法制を担当する首相補佐官の発言です。要旨は「法的安定性は関係ない。わが国を守るために必要な措置かどうかを基準としなければならない」ということです。「法的安定性」というのは、法律はしっかりした手続きを踏まなければ、勝手に解釈を変えてはいけない、という考えです。それによって国家権力の暴走に歯止めをかけ、国や社会の安定を維持できる、という法治国家の考えです。
 もし首相補佐官の言うように、現実を優先させて憲法の解釈を勝手に変えられるなら、社会や国は、安定した存立基盤を失ってしまいます。現憲法が時代の変化や国際環境の変化に追い付けなくなった、というのなら、手続きにのっとって改正すべきでしょう。68歳でボケてしまったから、といってないがしろにしたら、法治国家が崩れてしまいます。

 

品性のある国を目指して、選挙に行こう

 

 では国民はどうしたらいいのでしょう。私たちにできることは、当たり前の結論ですが、選挙で意思表示することです。そのためには、自民党を筆頭に改憲を目指す政党は、選挙で憲法改正の是非を問うべきです。最初に書きましたが、護憲論者も改憲論者もそれを望んでいるのではないでしょうか。憲法を争点にしない選挙で勝って、憲法の解釈を変える、というようなことがあってはいけません。

 来年の参院選は18歳以上に選挙権が与えられます。日本の将来を担う若い人にとっても、重い選挙になるはずです。

 最後に政治家への期待と失望について。長谷部恭男早大教授が違憲発言をした時、自民党は自分が推薦した学者に対して「人選ミスだった」と言いました。何と失礼な発言、と思いませんか。政治家としてというより、一社会人としての礼節をわきまえない、まともな人間教育を受けてこなかった、としか思えませんでした。しかも、長谷部教授は特定秘密保護法案の審議では、参考人(国家安全保障に関する特別委員会)として自民党案に賛成しました。何が「人選ミスか」なのでしょう。

 この一件で、1年ほど前の報道を思い出しました。安倍首相の経済ブレーンである浜田宏一・イェール大名誉教授が、河合正弘東大名誉教授らと日・中・韓の関係改善を求める意見書を首相官邸などに出そうとしたところ、受け取りを断られた、とロイター電が伝えました。浜田氏はアベノミクスの演出者と言ってもいいだろうと思います。長谷部教授と同様、自分の意見に合わないとお役御免になる、ということでしょう。
 私たちは政治家の品性から考え直さなければならないのです。

 
 

(注1)憲法前文から。「国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し(of the people),その権力は国民の代表者がこれを行使し(by the people)、その福利は国民がこれを享受する(for the people)」

(注2)81条「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則、又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」

(注3) 6月4日に開かれた衆院憲法審査会で、参考人の長谷部恭男早大教授、小林節慶大名誉教授、笹田栄司早大教授が、集団的自衛権を含む安全保障関連法案について、そろって「違憲」の判断を示した。自民党推薦の長谷部教授まで「違憲」の判断で、自民党にショックを与えた。