「自然がいっぱい」と「人口減少」の狭間で

Y.Hori

堀 優子 (株式会社日本開発サービス 研究員)

昨年9月、出身地である大分県豊後大野市緒方町へ10年ぶりに帰省しました。緒方町を含めた大分、宮崎両県の6市町にまたがる地域は「祖母(そぼ)・傾(かたむき)・大崩(おおくえ)ユネスコエコパーク」として、今年、ユネスコに正式登録される見込みです。

 「ユネスコパーク」(注1)は1971年に生態系の保存と人間社会との共生を目的にした「人間と生物圏計画」事業の一部として始められ1976年から登録が開始されました。ユネスコエコパーク登録に先立ち2013年には「おおいた豊後大野ジオパーク」の名称で日本ジオパーク(注2)に認定されています。現在、ジオガイドの育成やツアーの実施など市内の地形・地質遺産の保全と観光振興に取り組んでいます。かつて私は環境省環境研究総合推進費による研究プロジェクトに参画し、ユネスコエコパーク地域を対象に研究をしていました。

 (注1)文部科学省の「生物圏保存地域(ユネスコエコパーク)」によると、2016年3月現在、世界120カ国669件が認定されている。日本は7件。「志賀高原」「白山」「大台ケ原・大峯山・大杉谷」など。

 (注2)ジオパークは地球・大地(geo)と公園(park)の合成語。ジオパークの見どころを「ジオサイト」に指定して保護を行い、教育やジオツアーなどの観光に活かす活動を行う。2016年9月現在、「日本ジオパーク」が43地域、そのうち8地域がユネスコ世界ジオパークにも認定されている。

 大野郡緒方町は面積147.96km2、1955年に大野郡緒方町、小富士村、上緒方村、長谷川村が合併して町になり、50年後の2005年に郡内のその他の5町2村が合併して豊後大野市が誕生しました。住民の生活は大野郡の頃とほとんど変っていないようです。ただ、人口は著しく減っています。1955年に13,696人だったのが、2005年には6,587人、2015年には4,995人と減少に拍車がかかっています。JR九州豊肥本線の緒方駅から10分圏内の地域でも空き家が目立ちます。

 

閉山後は二軒が残るだけ

 

 緒方町の人口減少の始まりは1954年の尾平(おびら)鉱山の閉山からです。緒方駅から祖母山、傾山近くの集落である尾平鉱山へは車で1時間超かかります。尾平越トンネルを抜けると宮崎県高千穂町です。途中、滞迫峡(たいざこきょう)など急峻な渓谷を目にすることができます。

 技術者だった私の祖父は7年後に閉山になるとも知らずに鹿児島市錫山鉱山から尾平鉱山にきました。

 三菱鉱業(現在の三菱マテリアル)が尾平鉱山の操業を開始したのは1935年のことでした。それまでは山間の小さな集落だった尾平は最盛期には従業員とその家族2,000人以上が住み、活気ある街へと変貌しました。映画などは大分県で一番に封切られていたそうです。しかし、繁栄をきわめたこの地も閉山後、住人は次々と山を降り、現在、2軒を残すのみとなっています。うち1軒は旅館で、祖母・傾山への登山客を受け入れておりました。隣接する集落でも倒壊家屋が目につきました。

 Wifiや携帯電話は圏外です。駅からのコミュニティバスの本数は少なく、タクシー料金は片道6,600円ほどです。視察に来られた企業の方は「今の日本にこんな秘境のようなところがあるとは思わなかった。」と語っておりました。

 秘境を街に戻すことは不可能なので、「秘境」を売りに内外にPRするのも一案かもしれません。しかし、残った住人や数多くの登山客への利便性を考えると、限界を超えた集落を今後どう支えていくか、極めて大きな問題を、私たちは突きつけられているのです。さらに、人口減少を見据えた未来を考えるうえで、自然環境によりそって生きてきた先人たちの伝統的知識や技術、価値観も見直すときが来ているのかもしれません。

 

人口を上回る動物の数

 

 緒方町は山や川、森だけでなく、鉱山を採掘した穴などの洞窟がたくさんあります。春になると棚田はレンゲやシロツメクサでいっぱいになります。その光景は「アルプスの少女ハイジ」や「赤毛のアン」の舞台のようでした。

 豊かな自然に恵まれ、貴重な動植物も多数生息しています。1987年には長谷川地区でツキノワグマが射殺されました。このツキノワグマが九州で最後のツキノワグマとなりました。さらに2000年には祖母山系で、絶滅したとされているニホンオオカミらしき野犬が目撃され、撮影もされています。豊後大野市ではかつて獣害対策に外国からオオカミを輸入して放す、ということを検討したことがありました。

 しかし、裏側でイノシシやシカ、サルなどの獣害が年々深刻化しています。人口よりも野生動物の数の方が多く、農地は動物園のように柵で囲まれています。

 住民からは「イノシシとシカをなんとかして欲しい」、子どもからは「通学路にサルが出て怖い」と言われました。柵で農地を囲んでも、イノシシは土を掘り、シカはバンビのようにジャンプして柵を超えるので手に負えません。さらにイノシシは大野川を泳いで活動範囲を広げています。

 市が2011年にカウントした農林業への被害額は生産額の総額1,103 千万円(平成26年)のうち2,000万から5,000万円です。作物など農業が75%、シイタケなどの林業が21%、アユの食害といった水産などは4%でした。山は荒れヘビが減りました。イノシシがヘビを食べるからです。

 

ジビエにも限界

 

 最近、獣害対策の一つとしてジビエが見直されていますが、人口が少ない地域では消費に限界があります。解体処理加工施設の建設や運営には厳しい基準があり、また猟期が限られているため採算性の問題があります。一時は野生動物の死骸が山中に不法投棄され問題になりました。現在は市の清掃センターで焼却しているとのことです。ハンターは報奨金をもらえるので、積極的に猟(駆除)をしているとのことです。しかし、祖母傾山の原生林に人が入るのが難しいため、シカ、イノシシの大規模な駆除は難しいのです。

 狩猟を生業とした集落があり、焼き畑や狩猟が盛んだった頃、獣害はおろか出没の話も聞きませんでした。シカやイノシシの他、ヤマバトやキジ、ウズラを食べました。一世代前まではウサギ、タヌキ、ヒヨドリ、カモシカ、スズメなども食べたことがあると聞きました。今は限界集落だった集落が限界を超えた集落となり、焼き畑が途絶え、野生鳥獣の処理技術やレシピを知っている人も減少しています。生物多様性の保全だけでなく伝統的知識や技術の消滅を危惧しています。

 全国の自治体がさまざまな方法で過疎化対策を模索しています。農林業の振興、エコツーリズム、移住者の受け入れなど方法はさまざまですが、過疎化の流れを止めることはできません。現実の状況に合った社会を再構築していくしかないと思っています。「過疎化」は都市に移住した出身者が多いことを意味します。その現実を受け入れて都市に住んでいる人材を活用できれば、新たな可能性が見えてきます。

 筆者は「外からの情報が欲しい」という地元の声を受け、東京で開催されるシンポジウムやセミナーに参加し、そこで得たことを豊後大野市に伝え、情報を共有しようとしています。そして、地元に残った人たちがその内容をさまざまな施策づくりや町おこしの参考にしています。また、様々な機会を使って寄稿し、地元のPRにも努めています。