関口 宏
とは言うものの、「憲法改正とオリンピックは何の関係もないはずですが」と、総理に聞きたくなった方もおられると思いますが、2020、オリンピック・パラリンピックがひとつの目処・目安になっている業界は多いのでしょう。
建設、観光、スポーツ界はもちろんの事、電気業界も4K・8K販売の絶好のチャンスと捉えていると思われます。
それにしましても今回のオリンピック・パラリンピックは、エンブレム騒動、競技場問題、そして財源のゴタゴタと、「本当に2020年に開けるのか?」と心配する声があちこちから聞こえてきます。
半世紀前の東京オリンピックを知る者として「・・・・何か違うなぁ・・・・」と感じているのは何故なのでしょう。
1964年の東京オリンピック灯した聖火台・・ posted by (C)kazutan3@YCC
1964年(昭和39年)の「東京オリンピック」。私はまだ学生でした。
世の中も、やっと戦後の痛手・貧しさから抜け出せそうな「ホッ」とした空気が漂い始め、そこにひとつ、大きな「夢」が与えられた感じがしました。
(一方では、60年・安保闘争〜70年の学生運動があったものの、世の中は全体として、一途に「戦後からの脱却」を目指していました)
新幹線や首都高の建設は華やかで急ピッチでした。
しかしその裏で、担当者が頭を痛めていたのが「ゴミ」の問題だったと後になって聞きました。
そう、その頃の東京は、近所の川に平気でゴミを捨てていましたから、川は汚れ、またその匂いも尋常ではありませんでした。さらに町のあちこちには生ゴミの汁たれ流しのゴミ捨て場があって、今のようにポリ袋などありませんから、匂いは凄いは、ハエがブンブン飛ぶはの、そんな東京だったのです。
昭和のごみ箱に久しぶりに遭遇しました posted by (C)白石准
しかし、オリンピックの準備そのものは粛々と進められていたように思われます。
クーベルタン男爵の「オリンピックで最も重要なことは(勝つ)ことではなく、(参加)することである」に始まる「オリンピックの精神」があちこちで語られました。
また1958年、東京で開かれた「アジア大会」はその予行練習になったでしょうし、国民も世界的な競技会を実感しながら学んだのでした。事実、「アジア大会」は立派な大会になりました。
そして「東京オリンピック」に向けた機運は徐々に高まって行きました。
そう、徐々に、徐々にだったのです。
敗戦国日本が、世界の表舞台に立つ。世界の目に対して、恥ずかしいことがないようにと、国民ひとり一人の自覚が自然に育って行きました。
「スポーツを通じて、平和な世界を建設する」という主旨の「オリンピック憲章」にそった『志』が、どこかで共有されて行ったように思います。
その共有された『志』が、1964年の「東京オリンピック」を見事、成功に導いたのでしょう。
思えば、この一連の流れが、どうも今回は感じられません。
「決まった!急げ!」「何かあったら、後で考えればいい!」
と誰かが言った訳ではないのでしょうが、流れてくる空気はこの域を出ません。
時代も変わったのでしょう。もう日本は貧しい国ではなくなりました。世界を代表する国のひとつです。
なのに、と言うべきか、だから、と言うべきか、今回のオリンピックに関しては、どうしても「経済最優先感覚」に囚われてしまっているように見えてしまいます。
また一方では、ネット等の弊害にも象徴されるように、国民全体が共通の目的意識を持つことが難しくなっているという皮肉な現象も起こっています。
いまさら半世紀前に戻る訳には行きません。2020年には東京で「オリンピック・パラリンピック」が開かれるのです。
でも我々が忘れてはならない事は、『何のためのオリンピック・パラリンピックなのか』との問いかけなのでしょう。
「東日本大震災」復興への協力。と聞いた時には拍手を送りましたが、あれ、まだどこかに生きているのでしょうか。
テレビ屋 関口 宏