アイルランドと聞くと「ダニーボーイ」という歌を思い出します。戦場に行く若者、送りだす家族の悲しみを歌っている古い民謡から生まれました。別名「ロンドンデリーの歌」として有名です。いま、英国のEU離脱が難航している中、その原因になっている北アイルランドのロンドンデリーで暴動が起き、取材をしていた女性記者が銃撃戦で亡くなりました。
「ダニーボーイ」のロンドンデリー
暴動は3月18日に起きました。英国からの独立を求めるカトリック系住民と英国への帰属継続を望むプロテスタント系住民の対立が原因です。記者は独立を目指す北アイルランド共和軍の銃撃に巻き込まれたという見方が有力ですが、北アイルランド共和軍は「全面的に謝罪する」という声明を地元の新聞社に送り届けました。
様々な出来事を取材し、社会に伝える役割を持った報道関係者の死は悲しいものです。4月27日付の日本経済新聞夕刊によると、記者の死を受けて、英国のメイ首相とアイルランドのバラッカー首相は地域の安定のために、17年に崩壊した北アイルランドの自治政府を再開させる協議を始めると、共同声明を発表しました。
昨年はサウジアラビアの反体制の記者が殺害されました。10月2日にトルコのサウジアラビア大使館に入り、そこで惨殺されたと報じられています。サウジ王室批判や言論弾圧への批判をしてきた記者です。ムハンマド皇太子の関与も噂されましたが、北アイルランドと違って、真相がうやむやのまま、時間だけが過ぎてゆきます。
サウジの事件に代表されるように、独裁国家、強権国家などではジャーナリストへの弾圧、規制強化が日常茶飯事に行われているというのが常識になっています。大国の中国でも調査報道がしにくくなっている現状を、朝日新聞は「中国メディアの冬」という連載で伝えています。(4月25,26日朝刊)
「ジャーナリストへの嫌悪感」
RSF(国境なき記者団)によると、2018年に殺されたジャーナリストは80人、投獄されているのは348人だそうです。この数字がどのような根拠に基づいているのか分かりませんが、RSFの事務総長は報道の危機について次のように述べています。「ジャーナリストへの嫌悪は悲劇的な結果をもたらしている。その嫌悪は無節操な政治家、宗教のリーダー、ビジネスマンが発する言葉、そして時には公的な宣言によってもたらされている」。この現状認識には、多くのジャーナリストが共感するでしょう。暴力による殺人ではなく、言葉による圧力や黙殺は、時に、暴力よりも恐ろしい結果を生む危険性を抱えています。しかもそれが独裁国家だけでなく、日本でも日常茶飯事になっているのではないか、と思うと恐ろしくなります。
東京新聞の望月衣塑子記者を例に挙げるまでもありませんが、2月26日の定例会見で菅義偉官房長官が「あなたの質問に答える必要はありません」と答えました。この答弁に代表される質問制限は、報道規制が黙殺という形で行われていることを示しています。昨年来、東京新聞には官邸から9件の申し入れがあり、その中には「質問や表現の自由を制限するものもある」と東京新聞が書いています。
朝日新聞に載らなかった政府広報
少し古くなりますが、2017年(平成29年)7月10日の新聞各紙に「国際平和協力法25周年」と銘打って「国連PKOへの参加を通じ、世界平和に貢献しています」という広告が掲載されました。1ページの3分の2、10段分を使った大きな広告です。全国紙、地方紙合わせて70社。そして翌11日に宮古毎日新聞が加わり、計71社に掲載されました。「市民タイムス」(長野県)、「夕刊デイリー」(宮崎県)など、不勉強な私が知らない新聞も含まれていますし、官邸と激しく対立している中日・東京新聞や反安倍色の強い沖縄の新聞も含まれています。
ところが朝日新聞には掲載されませんでした。1992年(平成4年)にPKO法が成立する過程で、朝日新聞が反対の論陣を張ったからではないか、といった見方が流れました。朝日新聞は「相手が決めることなので、私たちから理由を尋ねるつもりはありません」と、立ち位置は明快です。その姿勢を褒めてやりたいと思います。新聞経営が苦しいからと言って広告で首根っこを押さえられる事態を恐れるからです。
東京新聞への申し入れといい、朝日新聞の広告外しといい、「公的な黙殺」「公的な嫌悪感」の表明と言っていいでしょう。「朝日新聞や東京新聞なんか嫌われて当然だ」という声が聞こえてきそうです。「好き」「嫌い」の問題が私的感情にとどまっている分には個人の自由ですが、公的なレベルに持ち込まれたとすれば、嫌な時代になった、と思うしかありません。
ジャーナリズムへの嫌悪感とは関係ありませんが、「ダニーボーイ」の話を付けくわえます。アイルランドと北アイルランドは1960年代から98年の和平合意までの間、独立か英国帰属かを巡って紛争が続きました。この間に3000人を越える犠牲者が出たそうです。紛争は「北アイルランド紛争」と呼ばれ、衝突の最初の舞台は、やはりロンドンデリーでした。
「ダニーボーイ」は多くの歌手によって歌われていますが、私は高校生時代でしょうか、ハリーベラフォンテの歌で初めて知りました。深刻な宗教対立が背後にあることを、当時は知りませんでした。宗教が人々の心のよりどころにならず、殺し合いの原因になっていることに、深い絶望を感じないわけにいきません。