教育と学校

テクノロジーが変える社会と教育

千葉市若葉区の都賀の台は新興住宅地。実家の並びは前も横も空き家になってしまった。先月は町内で8人も亡くなったそうだ。

自分が通った中学校は、創立40周年。1学年9クラスが急造のプレハブ校舎で学んだ日々も今は昔。その頃(昭和50年)日本のほぼ4人に1人が15歳未満の子どもだったが、いま(平成27年)その比率は8人に1人だそうだ。

この40年間、教育界隈でも、土日週休2日制、ゆとり教育、中高一貫制度などいくつかの改革がなされた。また、2020年にはセンター試験に代わり、高校卒業試験と大学入学試験が導入され、2019年に専門職大学という実務を重点教育する大学制度も新設される。アクティブラーニング、反面授業などインターネットやスマホを取り入れた授業も行われるようになっている。

もちろんインターネットやスマホの普及で、親のビジネス環境も大きく変わった。テレビからYouTube、マスメディアから SNSへ、あらゆる人が情報を発信しシェアする時代である。供給者目線より消費者目線のサービス、マーケティングが主流な社会なのである。

この激変を考えると、未だに6・3・3制や「大学」という制度が残っているのはむしろ不思議に思えてくる。

予備校・塾で先行する教育イノベーション

教育界のイノベーションを俗に「Ed-Tech(Education Technology)」と呼ぶ。「イノベーションのジレンマ」などで著名なクレイトン・クリステンセン氏は、2008年の著書「教育×破壊的イノベーション~教育現場を抜本的に変革する」で、教育が「教授から生徒中心の学習へ」と向かい、ユーザー生成コンテンツやネットワークが教育を変えると述べている。

同氏の破壊的イノベーション理論によれば、市場で取り残されているセグメントを顧客にする企業は、その大量な顧客基盤を元に、サービス改善を迅速に進めイノベーターとして成長する。教育は全ての子どもに提供されるから、今まで顧客ではなかった層は存在しないため、イノベーターが生まれにくそうである。しかし、義務教育の学校制度とは違い、諸外国にあまり例をみない日本の学習塾・予備校市場は破壊的イノベーターが生まれる素地が充分にある。塾経営の家族三世代を描いた森絵都さんの小説「みかづき」を読むと、補習塾から受験塾、そしてNPO補習塾といった変遷、塾同士の合従連携など、子ども目線の教育理念と経営の両立の難しさがわかる。

動画で可能になった個別指導

数年前、動画関連の取材をしていた時、塾の動画制作を請け負っている会社と出会った。「最近は、先生がリアルに教えることはあまりないんですよ」と社長が言う。調べてみると、塾業界では「個別指導塾」という形態が流行っており、動画を使った授業が主流となっていた。昔の予備校のように、人気講師の授業に教室が満杯になるのではなく、個別ブースでヘッドフォンをつけながら動画を視聴する。わからないところは何回も見る。理解しているところは1.5倍速で見る。動画を使って習熟度に応じた教育が可能になっていた。

先生にもメリットがある。動画は何度でも撮り直しできるので、収録された授業は、言い間違いのない、先生最高の授業となる。

80年代に爆発的に普及したテレビの録画機で、視聴者はテレビ番組を自分の好きな時間に何回も見ることができるようになった。それと同じで、決まった時間に始まる授業から子どもたちも解放され、分からなかったら何度でも繰り返し学べることが可能になっていた。やはり、予備校・塾は学校と違い、イノベーティブな創意工夫が行われていた。

といっても、ここまではインターネット以前の話である。

インターネットに教育動画を無料開放する

いまYouTubeには、子ども向けの算数の学習動画が数多アップされている。ホワイトボードを使ったり、クマの着ぐるみを着たり、各地で個人塾を開設する先生が工夫した動画を作っている。

そうした学習動画をいち早くYouTubeに公開したのが、米国カーン・アカデミーである。元々、証券アナリストだったサルマン・カーン氏が親戚の子ども向けに作った動画から始まり、現在はビル・ゲイツ財団とグーグルから750万ドル(7.5億円)資金提供を受けNPO団体として運営されている。カーンアカデミーの動画は、先生の顔は映らず黒板に板書されるシーンが映されているのが特徴的だ。幼児向けの数の数え方から中高生向けの算数まで1回10分程度に区切られた動画がたくさんアップされている。

カーン氏の著作「世界は一つの教室」に「年齢別にクラス分けをするのは、子供にとって何の意味もない」「テストの及第点は70点ではなく満点にすべきだ」とある。

理解度の違う子どもが一つの教室にいる今までの学校。それが、動画を利用することでかなり解消できる。わからない問題があれば何度でも動画を見て学習できる。理解の早い生徒は、倍速で視聴しても良い。理解してから先に進むので、テストは全員満点なのだ。

日本の「個別指導塾」が気づいた動画の利用法を、さらにオープンな場で実践したのがカーン・アカデミーである。

世の中はさらに進む。パソコンで見るのが普通だったYouTubeもスマホで見る人が増えた。それに伴い、動画学習をスマホで配信する企業も誕生している。

スマホでインタラクション – アオイゼミ

「日本には教育機会の選択肢が少ない」スマホに特化したオンライン学習塾アオイゼミを創業した石井貴基代表取締役が語る。同氏は、ソニー生命でフィナンシャルプランナーとして、様々な家族の家計相談に携わるうちに、衣食住と比べ教育の選択肢の少なさに気づいたという。そこで無料で学習動画を見られるアオイゼミを立ち上げた。電通、マイナビなどから資本金1億円を集め、会員は30万人を超える。収益源は、動画アーカイブ視聴や教材のダウンロードである。

SNSで「いいね!」をつけるのと一緒で、スマホで配信される動画には、受け手のリアクションが簡単にわかる。授業の間に「わかった!」と思えば、ボタンを押すだけで先生に反応できる。アオイゼミの動画でも、先生が課題に答えた生徒に呼びかける双方向コミュニケーションが行われていた。

「個別指導塾」は動画を習熟度で見せる点がイノベーションだった。アオイゼミは、そこに「ライブ授業」をブレンドする。リアルな教室にあった仲間意識や高揚感がデジタルの世界に持ち込まれる。スマホで動画が見られ、高価な機器を購入しなくても、簡単に動画配信できるようになった時代ならではの発展である。

予備校・塾業界のイノベーション

子どもを大学まで全て公立で通わせると約1600万円、私立であれば、2400万円かかる。なかでも、学習塾などへの支出が多いのは小学6年生時で年間74万円。ちなみに、18年前(平成14年度)は、一番支出が多いのは中学3年時で23万円だった。受験のピークが高校受験から中学受験に低年齢化し、その費用は3倍以上になった。学習塾などの費用も世帯収入で2倍以上の差がある。

こうした教育とお金の問題をテクノロジーで解決できないか。カーン・アカデミーやアオイゼミは、一つの解決策であろう。また、低価格で急速に顧客を集めるという点で、アオイゼミはイノベーターでもある。

既存のプレイヤーは、教室の賃貸費用や講師の人件費などの固定費を月額料金に反映せざるを得ない。また、安価なサービスを提供することは、自らのビジネスモデルを崩すことにつながりかねない。クリステンセン氏のイノベーションのジレンマである。

ただ、石井社長は「教える科目を分担すれば、既存の塾と共存もできる」と語る。リアルな教室とインターネット。その組み合わせは、学習機会の選択肢が広がることも意味する。

予備校・学習塾市場は9,570億円。(矢野経済研究所調べ)2013年度の子どもの数は1649万人。子どもの数は減っているのに、市場規模は横ばい。今後も、新たなサービスが次々と生まれるだろうが、今アオイゼミは学習塾・予備校市場の最前線にある。

大学の授業動画を無料公開 – ハーバードやMIT

予備校・塾がイノベーションを取り入れていることはわかったが、大学はどうなのだろうか。2012年に米国マサチューセッツ工科大学(MIT)とハーバード大学は、すべての授業を無料公開するEdxという動画配信プラットフォームを始めている。(こうした教育動画配信プラットフォームをMOOC(Massive Open Online Courses)と呼ぶ。)

小学生でも高齢の方でも世界中の誰もがトップ大学の授業を無料で受けられる。先生や生徒同士のコミュニケーションは掲示板などで行われる。

金成隆一氏著の「ルポMOOC革命無料オンライン授業の衝撃」によれば、モンゴルの中学生がEdxを受講、成績優秀で、そのまま入学を許された例もあるそうだ。ちなみに、30ドルから数百ドルまでコースによって差があるが、お金を支払い試験などに合格すれば、大学から正式な修了証を発行してもらえる。

大学の授業をインターネットで無料公開するMOOCは、知識の民主化であり、大学側も優秀な学生のリクルーティングとして宣伝効果を得た。

ただ、大学の運営するMOOCは、ITをツールとして利用するだけで、学校制度の改革を目指すものではない。あくまでも制度内での改革であり、大学に変わるオルタナティブな教育制度を生み出すもではない。大学関係者からすれば凄い変化だろうが、21世紀に入ってインターネットのイノベーションを体感してきた我々にとっては、学歴社会をぶっ飛ばすようなイノベーションを期待したい。

その点で、予備校・塾と同じく、ビジネスとして学習動画の配信プラットフォームを運営するスタートアップ企業は独自の進化を遂げている。

大学とは違うオルタナティブなキャリア形成

2012年にスタンフォード大学の教授などが創業したコーセラとユダシティは、世界中の著名大学と提携、配信プラットフォームを提供する。Edx同様、世界中の誰もが授業を受け、有料コースでは修了証も受け取れる。

ただ、Edxとの大きな違いは、企業との結びつきをより明確にしている点だ。

Edxにもマイクロソフトの運営する講座があり、コーセラにはGoogleの講座がある。

なかでも、ユダシティは企業と教育の結びつきをもっと明確にしている。メルセデスやat&tなど10社をパートナー企業と呼び、就職の紹介をする。企業は新規事業に必要なスキル育成や人材発掘のプラットフォームとしてユダシティを利用する。また、Googleと提携した「Androidデベロッパー」養成講座には、授業料は3ヶ月で750ドルだが、年収は平均82,000ドルになることが明記されている。米国の大学は授業料とその学校の卒業生の初年度年収が雑誌などでよく比較される。教育と職業への投資と考えているわけだ。

ユダシティの創業者セバスチアン・スラン氏は、最近のインタビューで、「私たちは、どんな大学にもない、学生に仕事を見つける力をつけさせる教育課程を用意することで、大学を凌駕できるのです」と語っている。

このように動画を利用した教育の仕組みは、既存の学校制度に囚われない学習機会を生み出し、企業のニーズを捉えたオルタナティブなキャリア形成の場となっている。

オルタナティブな教育と地域活性化

日本では、専門学校がこうした企業実務を学ぶ場としての役割を担っていると思うが、一流大学から一流企業へという枠組みに組み込まれ、ユダシティのようなダイナミックな動きに欠けると思うがどうだろうか。

ユダシティは地元シリコンバレーのIT産業と教育がうまく連携した事例だが、さらに税制優遇などによる企業誘致をうまく組み合わせれば、地域活性化に貢献できるのではないだろうか。例えば、カナダのケベック州は、世界遺産やモントリオール国際映画祭などのイベントと、税制優遇によるエンターテイメントやゲーム産業誘致、そして11の大学が集積するという地の利を生かし、産官学の連携が成功している。

日本でも吉本興業が沖縄に今までにない教育の場を作るという。同社は、沖縄国際映画祭を開催しているし、劇場も沖縄で運営する。行政が税制優遇などで企業誘致を図り、就職と教育を直結する仕組みを作れば、ケベック州のような成功例となるのではないか。

ともかく、日本の成長産業は、コンテンツ・ビジネスやインバウンド観光などソフト産業に移行するのだから、新たな人材育成の場を「学校制度」の枠に囚われず作る必要があるだろう。

テクノロジーが変える学歴社会

では、テクノロジーを利用した教育は今後どのような方向に進むのだろうか。

メディアや流通市場では、顧客・消費者データを大量に集めたプラットフォームは、顧客嗜好に合わせ、商品のキュレーション(集める)たり、レコメンド(オススメ)を強化する。そのノウハウが視聴者の満足度の高さを支え、成長に寄与する。その後、彼らは顧客データを元に、コンテンツや商品を自ら生産し始める。

教育市場でも、ウェブ上の学習動画を組み合わせ、生徒の目標へ近づけるキュレーションサービスが生まれるかもしれない。例えば、「分数の割り算がわからない」という生徒には、A先生とB先生のこの動画を続けて見なさいと行ったカリキュラムを自動で生成する。こうしたサービスは、今後ますますユダシティやアオイゼミのようなオンライン教育システム卒業生が生み出すこととなろう。

つまり、EdTechを教育のIT化といったツール論としてだけに視点を置くと、その影響力を見誤ってしまう。広く考えれば、我々は16世紀に起こった印刷技術の普及で始まった知識の民主化の流れにいる。そして、民主化され集積されるビッグデータと人工知能のおかげで、100年後には官僚も政治家といったエリートも不要になるかもしれない。

であれば、国家のエリート養成のために始まった学校制度も変革せざるを得ない。EdTechは、単純な学校のIT化ではなく、我々の知の在り方の抜本的な改革なのである。