独裁を求める私たち

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 10月22日に投票が行われた衆議院選挙の期間中、驚かされるシーンが何件かありました。

 「異様」という点では公明党の山口那津男代表が断トツでした。10月15日に神戸の街頭演説で「鉄人28号」の替え歌を披露してくれました。腕を振りながら、そしてあの柔和な笑みを浮かべながら歌う山口代表の姿は、私が抱いていた公明党のイメージを大きく覆しました。同時に「やっぱり」と思わせるものでした。テレビで全国に放送されたはずです。

 「手を握れ、自民と公明。たたきつぶせ、立民、共産。敵に渡すな、大事な議席」

 

有権者を敵扱い?

 

 天を仰ぎたくなりました。柔和さとは裏腹に「叩きつぶせ」という粗野な言葉が、アニメならともかく国政選挙で使われたことが驚きでした。「敵に渡すな」とは立憲民主党と共産党の支持者を「敵」と位置付けたわけです。この発想はどなたかとそっくりだと思いませんか。そうです、安倍首相です。東京都議選の時の「こんな人たちに負けるわけにいかない」発言です。山口代表は安倍発言の露骨さに、さらに磨きを掛け、自民党との一体感を鮮明にしました。

 安倍首相はもともと他人の意見を聞こうとしない独裁的資質を持った人だと思っていましたから、たいていの発言には驚かされません。しかし残念なことは、安倍首相の独走ぶりを自民党が止めることができないことです。ブレーキ役は公明党に、と考えた人は多かったでしょう。そのささやかな期待すら、「叩きつぶした」のが、山口代表の替え歌です。議席数を減らしたのは期待を裏切ったから、とも言えます。

 敵と味方の峻別は、議会制民主主義が持つまどろっこしさを、一挙に飛び越える効果を発揮します。議論をスピードアップしたり、時に議論を無視したり出来るからです。小池百合子希望の党代表は、その危険性を重々承知しているのではないか、と期待していたのに「排除」発言が出て来ました。こちらも情けない限りでした。小池代表は後に言葉の過激さを反省したようですが、過激さもさることながら、発言の内容が公約の信憑性にまで影響した、と考えたことはないのでしょうか。

 

公約の「ダイバーシティー」は本当か

 

 「希望」の公約の中に「ダイバーシティー(多様性)」という項目があります。こんな外国語を使う必要があるのか分かりませんが、「ダイバーシティー」は、多様な人材を活用して生産性を挙げる、と言った意味で使われてきました。公約も当然、性や年齢や人種や障害の有無といったことにかかわらず「全ての人が輝ける社会」を目指すことを謳(うた)っています。合わせて地方の多様性も主張しています。

 当然の主張だと思いますが、本気でそう思っているか、と疑問を持ちました。人間の多様性を尊重すると公約しながら、実際には、考え方の違いや理念の違いについて「踏み絵」を迫って候補者を選別しました。有能な人材が外された可能性があります。政策の幅も失われたことでしょう。同じ政治理念の人が集まるべきだ、と言うのは正しいとしても、国民の多様な期待に応えるためには、人材や政策に多様性や幅が求められるはずです。「排除」は、国民のためではなく、小池独裁に好都合な論理だったかもしれません。

 その危険性を小池さんの右腕、若狭勝さんが、図らずも証明してくれました。民進党のリベラル派を排除する役割を担うにあたって「26年間、検事をしてきたので嘘の見抜き方は専門だ」「ウソをつくときはウソ反応がある」と言ってしまったのです。元検事、若狭さんの判断次第で議員の運命が変わる、というのは、思想統制の臭いさえして、冗談にしては度が過ぎています。戦前・戦中を思い浮かべた人もいたでしょう。「二院制の見直し」発言も同じです。「希望」は二院制を止めて、議論の省力化を目指すのでしょうか。

 立憲民主党にも同じ危うさを感じます。同じ理念の人の集団を目指しているからです。「立憲」の幅をどのくらい取るかによって、偏狭な集団になるかどうかが決まってきます。

 

独裁を歓迎する人たち

 

 「リベラル潰し」と言われた今回の選挙劇ですが、自民・公明の与党は、憲法改正に必要な三分の二の議席を確保しました。安倍首相は、念願の憲法改正にまっしぐらです。その中で公明党の立場は、微妙になったと思います。憲法改正に「異」を唱えすぎると、連立から外されてしまうか、薄味の連立になってしまう恐れがでてきた、と思えるのです。衆院選の結果、議員の8割が憲法改正に賛成だそうです。自民党からすれば、公明党がうるさいことを言ったら、すぐ代わりの部品を探すことが容易になりました。小池さん主導の「希望」は公明よりずっと保守に見えました。公明党は国政では自民党、都政では「希望」と組んでいます。二股路線と言っていいでしょう。しかし自民党はそれ以上に幅広い選択肢を獲得しました。山口代表が「手を握れ」と歌ったのは危機感の表明かもしれません。

 異なる意見、多用な考えを大切にする民主主義は、時間と手間がかかります。国際的にも時間と手間を省くことが「強力なリーダーシップ」と受け取られがちな世界になりました。日本でも安倍政権の強引とも言える議会運営に一定の支持が集まるのはその典型的な例です。

 憲法改正を見ても安倍首相は議論を嫌います。議論の大事な節目で国会では説明してきませんでした。5月3日の憲法記念日には、特定の新聞と単独会見をして考えを表明しました。ビデオで方針を表明したことも記憶に新しいことです。常に一方通行です。それが「一強」ということでしょうが、独裁的な政治手法になる恐れ十分です。

 現役の記者時代、トップが独裁的と言われる企業を取材して感じたことがあります。「独裁者になりたい人は数多くいるが、なりたいと思ったら誰でもなれるわけでない。独裁者が生まれるのは、周囲に独裁者を待ち望む人間、支える人間、受け入れる人間がいるからだ」ということです。

 独裁政治を待ち望んでいるのは、議員を含めて、私たち国民自身かもしれません。