日系移民150年の歴史―あの戦争をアメリカで経験した私たち(下)

M.Hasegawa

北米報知記者インターン
長谷川 美波

 

※8月1日掲載の本記事(上)と(中)は以下のリンクからお読みいただけます※
日系移民150年の歴史―あの戦争をアメリカで経験した私たち(上)
日系移民150年の歴史―あの戦争をアメリカで経験した私たち(中)
 
 
 

日本文化会館の14年

 
 終戦と共に日系人の収容所生活も終了したが、元の生活へ戻るためには相当の苦労を要した。収容所に送られる前に全ての財産や土地を手放さなければならなかった日系人にとって、帰る家どころか、戦後の日系人差別から仕事を得ることもできなかった。

 現在のパイオニア・スクエアからセントラル・ディストリクトにかけての区画は、戦前には日本町として栄えていた。しかし、新しく移住した人々によって、すっかり多国籍な風情が漂う地域に変わった。日系人たちは仕事と住居を見つけるまでの間、古くから日本人によって経営されたホテルや日本語学校、集会所、仏教寺院などに身を寄せ、生活した。

 現在のワシントン州日本文化会館(JCCCW)は、ハント・ホテルとして日系人が生活する場を提供したが、全ての居住者が仕事と住居を見つけ、閉館するまで14年を要したという。現在のインターナショナル・ディストリクト周辺を歩くと、日系移民が辿った歴史と今日までのつながりを感じられるだろう。

===========体験者の声(4)===========

広島とシアトル、海をまたいだ戦争体験
藤井ファミリー・ヒストリー

 大恐慌でアメリカ経済が低迷し、日系移民への風当たりが強くなるにつれて、家族としてはもちろん、子どもだけでも日本へ帰国させたいと望む者が増えた。

 米国書道研究会シアトル支部やシアトル別院仏教会に属し、書道・花道・茶道などを通してシアトルの日本人コミュニティーに貢献してきた藤井藹子(あいこ)さんの夫、実さんも帰国組のひとり。戦時中、日本に一時帰国し、再びアメリカに戻った日系人は「帰米2世」と呼ばれる。実さんはシアトルで生まれた。祖父は日系移民1世として酪農業やホテル経営で成功を収め、シアトル仏教会を創設するなどシアトル日系コミュニティーの基礎を築いた藤井長次郎氏。実さん家族は日本に渡ってから、広島での原爆を体験した。

 1935年、小学生になっていた実さんは、母・シゲさんと別れ、弟と共に広島へ戻っていた長次郎氏の元に向かった。その後、実さんは九州大学に進学。戦時中は、アメリカの日系人収容所にいる両親、広島で暮らす弟と、家族が離れて暮らすこととなった。

 1945年、広島への原爆投下で、弟を失う。弟は念願だった廣島高等学校への進学が決定していた。戦争によって中学での勤労動員が延長されたため、入学式を8月1日に迎えたばかりだった。

 一方、後に実さんの妻になる藹子さんとその家族は、広島市役所に勤務する父・勝郎さんと離れて、広島県福山市に疎開していた。福山市も、広島原爆投下の前日、8月5日にはB29による空爆に襲われた。それでも、広島から離れていた母と兄弟姉妹は、被災を免れた。

 広島に原子爆弾が投下された6日午前8時15分。勝郎さんは午後の出勤予定だったため、幸いにも市街の中心から少し離れた自宅にいた。「自宅は比治山(ひじやま)の麓近くにあって、比治山の陰になっていたから崩壊せずに済みました。そして、父はたまたま、縁側ではなくて奥の部屋で新聞を読んでいたから(直接の放射能を浴びずに)助かりました。縁側においてあった鉄製のミシンが吹き飛ぶほどの爆風だったそうです」と藹子さんは語る。

 戦後、実さんはシアトルに戻って働いた。そして結婚相手を探すために広島を訪れ、お見合いによって妻となる藹子さんと出会った。戦後10年が経った1955年に入籍し、藹子さんはシアトルで生活することになった。

 かつての敵国で原爆を投下したアメリカへの移住。シアトルで生活することを決めた時、藹子さんはどのような心境だったのか。「当時はまだ若かったので、うれしくも悲しくもありませんでした。縁談も親任せで、自分に起こっているという感覚がなかったのです。でも今となっては、両親がどんな思いで送り出してくれたのだろうと思います」

編集後記~半年にわたる取材を終えて~

 アメリカの日系移民がたどった150年の軌跡は、私にとっては全く新しく学ぶ歴史で、その体験者の声を実際に聴くことは留学中の楽しみでした。日系1世とその子孫たちはどれだけの恐怖と困難を経験してきたのだろう。そう想像する度に、これまで考えもしなかった日本人である自分とシアトル、日系アメリカ人コミュニティーとの強いつながりを感じるようにもなりました。日系移民が始まってからの150年の歴史はあまりにも濃く、それぞれの家族の歴史があります。そのそれぞれのストーリーが今後も語り継がれて欲しいという気持ちになります。

 
※8月1日掲載の本記事(上)と(中)は以下のリンクからお読みいただけます※
日系移民150年の歴史―あの戦争をアメリカで経験した私たち(上)
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