言葉が「風船」になった時代

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田  正夫

 「政府が右というものを左と言うわけにいかない」

 籾井勝人・NHK会長、この発言だけでレッドカードで、即退場です。従軍慰安婦問題、靖国問題などの発言が問題になり、国会で質疑応答が繰り返されていますが、この「右左」発言はそれ以前の問題と言っていいでしょう。すでに多くの人によって論じられていますが、時代の空気を象徴しているので、あらためて考えてみたいと思います。

 「右左」発言には文化性も国際性も、何もかもがすっぽり欠如しています。メディアは洋の東西を問わず、政府と緊張関係になる宿命があります。英国政府とBBCの関係はよく話題になります。メディアは政策に賛成の場合も、反対の場合もある、世論を吸い上げ、疑問点があれば質す、そこに緊張関係も生まれます。その機能があるから、民主主義社会で重要な役割を期待されている、と自負しています。期待にこたえられなければ、国民の信頼を失う、ということになります。こんな「そもそも論」を、NHK会長に申し上げなければいけないこと自体、情けないことです。

 民主主義社会と言論の自由・表現の自由、そして政治とメディアの距離はどうあるべきか、そうしたことを社会人として、籾井氏は日常生活の中でほとんど考えてこられなかったのではないか、と疑います。「素養がない」といった人もいます。籾井会長の発言通りのメディアだったら、政府広報紙と変わらなくなります。国際放送についての発言だから、いいじゃないか、という意見もあるようですが、国際放送とて同じことです。そういえば、数土文夫・前経営委員長の退任騒ぎがあった時も、一般企業の経営者として有能でも、メディアについての素養に欠ける人だ、という印象を持ったことを思い出しました。

 籾井氏について「サラリーマンとしては有能な人だったかもしれない」と証言する人もいます。曰く、自分が部下の時は上司に逆らわない、自分が上司になった時は、部下の異論は認めない、サラリーマンのある種の「鑑」だった。その価値基準をそのままNHKに持ち込んだのではないか、という疑念がわきます。そのために、あっと驚くメディア論が口を衝いて出てきた、そう考えると、理事10人全員に辞表を出させたというのも、うなずけることです。

 籾井会長に限った事ではありませんが、最近、日本の指導層にあまりにも洗練されない、粗雑な発言が多すぎることに、危機感を覚えます。死語になりかかっている教養という言葉が懐かしくなるくらいです。教養とか文化とかの根本は言葉のはずです。

 その大事な言葉を撤回したり、削除したりする、ということはどう考えたらいいのでしょうか。籾井会長の場合は「個人的な考えを公の場で言った」ということで、靖国問題や特定秘密保護法などの発言を撤回しました。つまり、発言は言った場を間違えたのであって、個人としては、今も信じている、ということなのでしょう。経営委員会議事録には美馬のゆり委員の質問に対して

 

籾井「私の発言の真意とは程遠い報道がなされている」「ぜひこの前の記者会見のテキストを全部見ていただきたい」

美馬「すべて読みました」

籾井「それでもなおかつ私は大変な発言をしたのでしょうか」

 

 国会でも「自分の考えを放送に反映させることはない」と答えておられますが、「右左発言」も個人の考えとしては変えていない、ということなのでしょうか。

 政治家も似たような状態です。麻生太郎副総理兼財務大臣の「ナチスの手口に学べ」発言、石破茂・自民党幹事長の「デモとテロ」発言、衛藤晟一首相補佐官の「失望」発言などが続いています。そして撤回騒ぎです。籾井発言の撤回も同じ流れと考えていいでしょう。

 撤回の理由は「誤解された・真意が伝わっていない」「発言の場を間違えた」「周囲に迷惑が及ばないように」といったところがビッグ3でしょうか。本当に誤解されたとすれば、真意を伝えられない言葉を選んだ自らを恥じるべきです。場所を間違えて発言を撤回するケースもありうるでしょう。その場合は、発言する場を誤った自分を恥ずべきです。公人である自分が伝えたいことや訴えたいことがあるならば、どのような場で、どのような人たちに向かって、どのような言葉を使って発言すべきか、発言の結果はどうなるのか、などを、事前に考えなかった自分を恥ずべきです。すぐメディアや世論のせいにすることも恥ずかしいことです。

 本来、政治家やメディアの人間にとって、命ともいうべき言葉を撤回する時は、致命傷になりかねないはずです。しかしそうならないのが、今の日本です。

 なぜなら、この寂しい文化状況、政治状況は、実は私たち国民が作り出しているからです。私たちは政治家から「本音の話」や「ここだけの話」を聴いて喜んでいないでしょうか。なんとなく政治の舞台裏をのぞかせてもらった、という満足感がありませんか。それが問題発言を歓迎し、そして撤回すれば許してしまう、という時代の空気を生んでいるのではないでしょうか。ふわふわと風に流される風船のように、空疎な言葉で、日本中が動いているように思えてなりません。

 

NHK歴代会長(初代~21代)

NHK歴代会長(初代~21代)

 

注)

表の(N)はNHK出身者

任期途中で退任した会長 郵政事務次官出身の11代会長小野吉郎氏がロッキード事件で保釈中の田中角栄元首相を見舞いに行き、受信料不払いが起きて辞任。初の生え抜き会長(12代坂本朝一氏)を生むきっかけになった。14代会長池田芳蔵氏は国会答弁が問題になり9ヶ月で辞任。15代会長島桂次氏は国会で虚偽答弁をして辞任。16代海老沢氏はNHKの不祥事が多発し辞任。NHKのホームページによると、任期中に死亡した会長は初代岩原氏、5代高野氏、7代永田氏、9代阿部氏。

三井物産出身は3人 籾井氏は三井物産出身者として、池田氏に次ぐ2人目、と言われるが、初代会長の岩原謙三氏も三井物産の取締役、芝浦製作所社長を経てNHKの前身東京放送局の初代理事長。その後会長になったので物産出身者としては3人目になる。岩原氏は物産の役員時代、シーメンス事件の贈賄側として摘発された。

新聞系は5人 朝日新聞出身者は4人で、NHK出身者を除くと一番多い。3代目下村宏(海南)氏は逓信省に入省し、台湾総督府総務長官を経て朝日新聞入り。第6代古垣鉄郎氏は国際連盟から朝日新聞入り。第8代目野村秀雄氏は朝日新聞から熊本日日新聞の社長を経てNHK会長。10代目前田義徳氏は朝日新聞出身。9代目阿部真之助氏は東京日日新聞(現毎日新聞)出身。

 

岩原謙三・初代会長の胸像 (NHK放送博物館にて筆者撮影)

岩原謙三・初代会長の胸像
(NHK放送博物館にて筆者撮影)