今こそ「掘り起こしジャーナリズム」に挑戦を

Y.Makino

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牧野 義司

 独立メディア塾が、メディアの在り方について、大いに議論歓迎ということだそうですので、今回、オープントークの広場で、生涯現役の経済ジャーナリストの立場で、私なりに議論提起してみたいと思います。
テーマは、メディア、とくに組織メディアと言われる新聞社や通信社、TV局に属する人たちが、記者クラブ制度の下での発表ジャーナリズムに安住せず、座標軸をしっかりと持って、時代の変化を現場で鋭敏にかぎ取る取材を積極的に行うなど、時代の先を見据えた「掘り起こしジャーナリズム」にチャレンジすべきだ、というものです。

 

中国メディアが潜入取材スクープ

 

 さっそく本題です。最近、サプライズだったのは、食の安全、食の品質管理が問われる中国で、上海のテレビ局「東方衛視」が上海の食品メーカーに2か月間、潜入取材を行い、食肉偽装の現場を隠し撮りし、テレビで放映してスクープ報道したことです。たぶん、ご存じだと思います。率直に言って、2か月間の潜入取材は、かなりの根気が必要で、大がかりなチーム取材体制を組まなければ出来ません。それが、後でも申し上げる課題山積と言っても言い過ぎでない中国のメディアで行われたことが文字どおり驚きでした。

 取材ターゲットの食品メーカーでは、期限切れ数か月の冷蔵鶏肉のラベルを張り替えて冷凍保管したあと、新鮮肉のようにして再利用、さらにはカビの生えた牛肉をステーキ用の肉に混ぜ込む許しがたい悪質犯罪行為が行われていたのですが、内部情報を入手した段階で、たぶん、「これはひどい。メディアの力で告発するテーマだ。総力をあげて取り組もう」となったのだろうと、私なりに思います。
 その現場を隠し撮りした映像は迫力があり、テレビ報道の強みを如何なく発揮しました。日本のハンバーガーチェーンやコンビニが、そのメーカーからチキンナゲット用に大量輸入しており、消費者への影響も計り知れないため、日本のメディアも、このスクープ報道に飛びつきました。そればかりでありません。親会社が米国企業だったこと、それならば外資系企業として、食の安全管理には厳しいはずなのに、なぜ信じがたい食品偽装が行われたのか、私を含めて多くのジャーナリストの好奇心をそそりました。

 この中国メディアは、情報をつかんだ段階で、社会正義のために立ち上がったのでしょうが、失礼ながら、意外に骨太な取材が出来るのだな、と思いました。と言うのも、実は、中国共産党中央宣伝部がメディアの論調について体制批判にならないように厳しく締め付けを行っている、と友人の中国メディア関係者から聞いていたからです。今回、共産党当局の食品安全管理の弱さなど、共産党批判のキャンペーンに発展させていたら、事態は一転、メディア規制という形で違う方向に行っていた可能性があります。その点で、場合によっては上海のテレビ局も「傾向と対策」を熟知していたのかもしれません。

 

日本メディアは記者クラブ制度に安住?

 

 共産党管理下に置かれた中国のメディアから見れば、日本のメディアの報道の自由度はその対極にあると言ってもいいでしょう。裏返せば、日本のメディアはその恵まれた環境を生かして、問題意識旺盛に、独自取材で、ニュースとなる記事を書けるはずです。
 ところが、私は仕事柄、5つほどの主要な新聞を読み比べていますが、「おっ、これはすごい」というビッグニュースは限られています。総じて言えば、独自のニュースが少なく、似たり寄ったりの新聞記事になっていることが多いのです。ましてやテレビ局のワイドショー番組では「きょうの主要各紙朝刊ニュースから」といった形で、独自取材する前に記事紹介することが当たり前になっているうえ、報道自体も新聞の後追いが目立ちます。

 私のような経済問題をカバーする立場でいえば、オリンパスの粉飾決算処理などの企業不正問題、さらに行政官庁のルーズな予算処理にメスを入れたりする問題は過去、硬派の雑誌報道がきっかけをつくっていたのが現実です。しかも新聞報道でさきほど申し上げた「これはすごい」というビッグニュースも、独自取材のスクープか、取材先の意図的リークによるものか、判別がつきにくいことが多々あります。
 そればかりでありません。財務省や経済産業省といった特定官庁だけでなく政府、とくに、安倍政権の首相官邸発と思える「政府」を主語にした「政府は方針(あるいは意向)を固めた」といった記事も目立ちます。政府が何を考えているのかを報じることは重要ですが、受け取り方によっては政府広報紙なのか、と思わせることもあります。

 

「発表ジャーナリズム」が問われている

 

 なぜ、そんなことが起きるか、おわかりでしょうか。毎日新聞などの取材の現場にいた私の経験から申し上げれば、現行の記者クラブ制度の下で、たとえば首相官邸の内閣記者会、あるいは行政官庁にある記者クラブで、新聞社や通信社、TV局の組織メディアは似たような取材先に対しニュースを求めて張り付き、記事を書いていることが原因です。
 私が毎日新聞に入社後、駆け出しの経済部記者になって旧大蔵省(現財務省)記者クラブを担当した際、当時のキャップから「政、官、財一体の日本株式会社の重役たち、端的には予算配分権を持つ大蔵省が今、何を考えどうしようとしているか、95%の国民の立場で取材して記事化するのだ」と言われました。この立ち位置で批判的にモノゴトを見ることは重要です。私自身も、その先輩キャップの判断は正しいと考え、当時の大蔵省の代弁ではなく、大蔵省が何を考えているかの取材報道に徹しました。しかし問題意識は別にして、紙面は今と同じ政府広報紙に似た展開になってしまっていたと言えます。

 問題は、これにとどまりません。民間経済担当記者がカバーする業種別記者クラブ、端的には自動車、鉄鋼など重工業、流通、金融といった記者クラブを例に挙げても同じことが言えます。企業にとっては一種のメディア向け発表の場となっているため、メディアの側は記者クラブに張り付いて記者会見対応をせざるを得なくなります。
 下手をすると、メディアの側には記者クラブ依存症という事態が生じます。結果は、記者の側の問題意識の差によって、記事に厚みがあるかないかの差となるだけで、どの新聞を見ても似たような発表記事が出るだけです。早い話が、メディアの同質化、均質化と言っていいものです。

 

原発事故報道でメディアは問われた

 

 東京電力の福島第1原発事故は世界中を震撼させましたが、この異常事態に関する当時の報道検証が後になって行われた際、いろいろな問題指摘が行われました。その1つが、メディアが記者クラブ制度にしがみついてしまい、事業者の東京電力、それを監督・規制する政府の原子力安全・保安院(当時、現在は原子力規制委員会)、政府の官房長官の記者会見での情報だけに頼ってしまった結果、原子炉のメルトダウンなど、国民にとって最重要な情報が結果的に、記者会見の場で情報コントロールされてしまったことです。

 メディアの現場にとっては決死の取材になりかねませんが、事故現場周辺で独自取材を重ねていれば、原発事故報道は批判にさらされずに済んだかもしれません。結果は、不必要に混乱させパニック状態に陥らせないために情報をコントロールする、という当時の政府のメディア対応によって、結果的に、国民はミスリードされてしまった、という問題があります。考えようによっては、メディアが当局や企業などの発表に依存する「発表ジャーナリズム」に浸っている限り、さまざまな真実が明るみに出なかった、ということになりかねません。

 

行政や企業は発表で情報コントロール?

 

 余談ですが、行政官庁や企業サイドからすれば、取材力のある記者に特ダネとして記事にされる前に、発表によって、多くのメディアに公平に記事化させようと発表攻勢をかけます。それ自体は事実上、広告費タダで、行政官庁や企業をアピールが出来るばかりか、メディアをある意味で情報コントロールも可能なのです。これもまた、発表ジャーナリズムの現実です。

 もちろん、私は、物事を決めつける考えは毛頭ありません。とくに、今のメディアの現場が常に状況に流されて、記者クラブに張り付いたままだとは思っていません。しかし、かつては権力に相対峙する存在として記者クラブ制度が出来たのに、今や記者クラブは、権力にモノ申すといったものではなく、メディアのサロン化していることは間違いない現実です。とくに記者会見の場でも、メディアの側が互いにけん制し合い、どんな問題意識でいるか、他社に手の内を明かしたくないため、突っ込んだ質問をせずに中身のないものにしています。結果は、記者会見で取材先に鋭く迫る、といった緊張感のあるメディアの報道姿勢が見受けられず、とても残念です。

 

調査報道や政策提案はメディアの活路

 

 ここからは、締めくくり部分です。私が冒頭に申し上げたように、今のメディアは、記者クラブ制度に安住せず、座標軸を持って、時代の変化を鋭敏にかぎとるために現場取材を、というのは、こういった背景があってのことです。
 私は、記者クラブで発表されたものを速報によってスピーディーに、かつわかりやすく報じるといった発表ジャーナリズムに関して、無視しろとは言いませんが、メディアは今後、分析報道、それに調査報道、さらには一種の政策シンクタンク的な形での政策提案報道によって、その存在感をアピールすべきだと思っています。

 とくに調査報道に関しては、記者クラブ制度を離れた独自取材によって、これまで隠されていた問題をえぐり出して真実に迫ることも可能です。ややオーバーに言えば「掘り起こしジャーナリズム」こそが、メディアの生き残り策でないかと思います。
 掘り起こしというと、過去の出来事で隠されていた真実を引っ張り出す、掘り起こす、というふうに思われるかもしれませんが、いま現場で起きている動きをもとに、次の時代を象徴するトレンドの変化を示す新しい動きとしてニュース化して描くのも、掘り起こしの範ちゅうに入ります。
 大事なことは記者クラブの世界から離れて、さまざまな現場に出ることです。現に、私自身はいま、フリーランスの生涯現役の経済ジャーナリストという立場で、新興アジアの問題、国内の農業の問題、さらにはモノづくりの現場で起きている問題の取材に取り組んでいますが、新しい変化に遭遇することが多く、わくわく感で取材しています。

 

女性記者が2年連続の調査報道受賞はすごい

 

 その調査報道の成果と言えば、スクープ報道によって見事、日本新聞協会賞などを受賞したケースがあり、枚挙にいとまないほどですが、私にとってここ数年でとても印象的な調査報道によるスクープ記事は、朝日新聞が2010年9月の朝刊1面トップで「郵便不正事件で大阪地検の主任検事、押収資料改ざんか」と報じた記事です。過去には同じ朝日新聞の川崎支局による有名なリクルート事件報道も素晴らしかったです。
 また、私がかつて所属した毎日新聞で2000年に、東北旧石器文化研究所の副理事長(当時)が発掘調査の前にわざと地面の中に旧石器を埋めて、さも大発見というふうにねつ造した「神の手」事件とも言われている現場を綿密な調査報道によって突き止め、ビデオ撮影して報じたのも印象的です。

 さらに特筆すべきは、毎日新聞で、2003年、そして翌年04年に連続して、大治(おおじ)朋子さんという女性記者の調査報道で防衛庁のスキャンダル2件を明るみにして、見事に日本新聞協会賞を2度続けて受賞したことでしょう。記者ならば、誰もが必死でチャレンジしたい賞ですが、1人の記者が2度も受賞するなんて、本当にすごいことです。

 調査報道に関しては、TV局は時間と取材経費がかかり、どこまでスクープ成果を挙げ得るか定かでない、視聴率アップを得る保証もない、といった形で、回避したがる傾向がある、と聞きますし、新聞社も「費用対効果」という点で生産的でないし、人材を割く余裕がないと同じく嫌がると聞きます。実に残念なことです。

 

「ネット時代にこそ調査報道を」の指摘は頼もしい
 最後に、さきほど紹介した大治さんが「ジャーナリズムの条件シリーズ (1)職業としてのジャーナリスト」(岩波書店刊)で「防衛庁リスト報道の軌跡」と題して、調査報道の課題に言及しています。なかなか頼もしい発言ですので、少し引用させていただきます。

 「今ことさらに、調査報道の重要性を訴える必要があるのか疑問に思う人がいるかもしれない。しかし私は、インターネットの時代であるからこそ、調査報道の重要性が一層増していると思う。(中略)ネットで読める情報と同じ情報をそのまま報道していては、メディアの存在意義は薄れて行く。どこでも得られる一般的なニュースとは別に、記者が着目して掘り起こさなければ永遠に公表されることがないであろうニュース――調査報道こそ、改めて必要とされるのでないだろうか」と。