戦争で亡くなった人を忘れない
在英ジャーナリスト  小林 恭子
欧州の終戦日は、ドイツが連合軍に無条件降伏し欧州内での戦いが終結した日となる5月8日である。過去10年ほど、筆者と家人は毎年夏のこの日にフランスの村(コミューン)で行われる戦没者追悼式典に参加してきた。
第2次大戦(1939-1945年)は連合軍側(米国、英国、ソ連、フランスなど)と枢軸国側(ドイツ、イタリア、日本など)による戦いで、連合国側の勝利に終わっている。かつての「敵」陣営にいた自分がフランスのコミューンで追悼式典に出席するのは奇妙だろうか?
その経緯を説明してみたい。
英空軍爆撃機の墜落
家人の父親シドニー・マトキンは第2次大戦開始の前年、志願兵の一人として英空軍に入った。1943年8月15日未明、パイロットとして乗っていたランカスター爆撃機がフランス東部ソーヌ・エ・ロワール県のコミューン、サシネー近辺でドイツ軍の攻撃を受けて墜落。全乗員7人が亡くなった。享年24歳。
サシネ―の住民たちは、爆撃機がコミューンの中心部から少し離れた野原に落ちたことを「私たちの命を救うために、わざわざ中心部を避けてくれた」と感謝した。
爆撃隊員の墓(撮影筆者)
当時、フランスは「ヴィシー政権」時代(1940-45年)。1940年5月、ドイツ軍によるフランス侵攻でフランスは敗北し、国内はドイツへの割譲地域、イタリア軍による占領地域、ヴィシー政権の支配地域(中央部、南部)などに分かれていた。
コミューンの住民にとって墜落は大事件で、住民の回想によると、墜落現場を見に行ったり、爆撃機の機体の一部を拾ったりしたという。花を捧げる人も出てきた。ドイツ軍は連合軍の爆撃機の犠牲者のために花を持ってくる行為を禁じた。しかし、「次から次と花を持ってくる人は絶えなかった」。とうとう、花屋の経営者が拘束され、強制労働所に送られてしまった。
コミューンを救った墜落機
サシネー・コミューンの大地主の娘と結婚したギー・フラッシュボーさん(79歳)の父親は、「マキ」の一人だった。マキとは、第2次大戦中、ドイツ占領下のフランスで抵抗活動を行った人々のことだ。終戦後、ソルボンヌ大学在学中に妻となるヘンリエッタさんに出会い、サシネ―に引っ越した。妻は物理の先生となり、自分は化学を教えた。
教職と同時にサシネ―の町長の役もこなすようになったギーさんは、子供の頃から親に聞かされてきた「コミューンを救った爆撃機の隊員たち」のために何かしたいと思うようになった。
写真⑤サシネーの住民と並ぶギーさん(右から2人目)(撮影筆者)
それが形となったのが、1988年。墜落場所となった野原の真向かいに飛行機の形をした記念碑を建てたのである。地元の歴史愛好家の助けを借りながら何人かの遺族に連絡を取り、記念碑の公開式に参列してもらった。
爆撃機の墜落が1943年8月15日であったので、毎年8月15日、住民と遺族らが参加する追悼式典を開催してきた。ギーさんはもはや町長ではないが、その後のどの町長もこの慣習を踏襲し、現在まで続いている。
墜落当時、ギーさんは幼少で当時のことを直接は知らない。
記念碑建立を機に遺族らと連絡を取るうちに、ギーさんはパイロットの息子が自分とほぼ同年齢であることを知った。マキとして活動をつづけた自分の父は、戦争を生き延び、フランス航空のパイロットとなって世界中を飛び回った。
自分は幸せな人生を送ってきたが、パイロットの子供の方は幼くして父を亡くしている。一体、どんな人生を送ってきたのだろうか。パイロットの妻には一度会ったことがあったが、息子は知らなかった。
まだ見ぬ父の墓があった
このパイロットの息子というのが、筆者の家人クリストファー(76歳)である。クリストファーの父は、自分が生まれる2か月前に亡くなった。父の兄や自分の母親は戦死したシドニーのことを話したがらず、母は再婚してしまったので、ますます実父のことは話題に上らなくなった。
1960年代後半に再婚した夫が亡くなり、母は独身に戻ってから、「フランスのあるコミューンにシドニーの墓がある」、「自分は行ったことがある」と息子に伝えた。
2010年ごろ、クリストファー自身も「墓を訪れてみたい」と思うようになった。今となってはそのきっかけが何だったかは覚えていない。
墜落した爆撃機の犠牲者を追悼する記念碑(撮影筆者)
爆撃隊員の銅像(撮影筆者)
フランスに到着後ギーさんに連絡を取り、記念碑とコミューン内の墓場に連れて行ってもらった。墓場の一角に亡くなった隊員らの墓石が立っていた。その1つに父の名前を見つけた。生年月日が書かれてあった。当時、24歳。実は、父が何歳で亡くなったのかをこの日まで知らなかった。
「24歳の若さで・・・」。高齢の自分と比べると、父の若さが痛ましくてたまらなかった。クリストファーは筆者とともに墓の前で大泣きした。
殺人者呼ばわり
大戦中、英空軍の「爆撃隊」の目的は「ドイツ内の戦略的拠点を爆弾で打ちのめすこと」。全12万5000人のうち、攻撃による墜落や事故で5万5573人が命を落とした。当時の隊員の約40%が亡くなったことになる。爆弾を落とされた側の大きな犠牲について、隊員たちはどう思っていたのか?「当時はそれほど考えなかった」と元英軍兵士で今は作家のジョン・ニコル氏は言う(ポッドキャスト「ヒストリー・ヒット」、6月20日配信)。英空軍による爆撃で最も壮絶なものとして知られるのが、ドイツ北部ハンブルクへの攻撃(1943年夏、1週間に4万人が亡くなった)だ。「戦争は本当に残酷なものだ」(ニコル氏)。
ニコル氏は複数の元隊員に話を聞き、新刊『ランカスター』にまとめている。「元隊員たちが最も悔しがるのは、戦後、『殺人者』と呼ばれたり、チャーチル首相を含む戦中の指導者たちが自分たちと距離を取りたがったりしたことだ」という。
いったん戦争が終わってみると、爆弾を落として多くの人を殺す手法が野蛮な行為として認識されだしたのだという。
戦没記念碑の周りに集まる人々(撮影筆者)
爆撃兵の犠牲を追悼する銅像がロンドンにできたのは、戦後67年の2012年だった。ハイドパークの一角にある銅像は任務を終えた隊員たちの姿を描いている。
英国で最も大きな戦没者追悼行事は、11月の第2日曜日の「思い出す日曜日(リメンバランス・サンデー)」だ。1か月以上前から人々は洋服の襟に戦没者への追悼を示す赤いケシの花の飾りをつけだす。ロンドン中心部で厳かな式典が開催されるのと同時に、国内各地で人々は地元にある戦没記念碑まで歩き、最後に黙とうする。
この行事の他に、テレビやラジオで戦争に関連した多数の番組が作られ、戦争をテーマにした書籍も毎年大量に出版されている。先の大戦では世界中で7000万人から8000万人の死者が出ており、英国では兵士と市民約45万人が命を落とした。「亡くなった人を忘れない」努力が続いている。
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