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屈辱的だった運動会 テープを“くぐる”? 4/10

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 生まれたのは昭和17年。「大きな手の赤ちゃん」だったらしい。北野さんのいちばん古い記憶は、小学校の入学式。
 「当時、制服なんて売っていなかったのか、貧しくて買えなかったのか分からないけど、お袋が生地を買ってきて手縫いで紺のブレザーを作ってくれました」
 当時、まだまだ庶民の食卓は貧しかった。
 「コロッケばかり食べていた気がします。メンチカツなんて、とても買えない」
 コロッケを食べているときに、たまに黒い粒に当たると「肉だ!」と喜ぶ。でも、その「黒い粒」は、実はジャガイモの皮だった…。そのくらい、「肉」に飢えていた少年時代だったという。学校の給食で出る脱脂粉乳が「まずかった」ことも忘れられない。たまに出る揚げパンが楽しみだった。
 小学生の頃からすでに勉強は「それなりにできる子」だったという北野さんだが、「とにかく運動がダメでした」。年一回の運動会、100メートルの徒競走では、たいていいつもビリ。一等の走者が切ったゴールテープが、次の走者たちのために再びピンと張られる。そのタイミングでようやくゴールにたどり着く北野少年を通すためにテープは高く上げられて、その下をくぐらされる、もう次のトップ走者がすぐ後ろまで迫っている…。
 「その時の屈辱は、いまだに記憶に残っています」
 毎学期、学級委員に選ばれるほどの優等生ではあったが、運動会で一等になるともらえる賞品のノートは、永遠に手の届かない憧れだった。




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