未だに残るグアンタナモ収容所 9・11テロから20年
在英ジャーナリスト  小林 恭子
ニューヨークの世界貿易センタービルに、ハイジャックされた飛行機が追突する様子を筆者は東京の外国特派員クラブに置かれていたテレビの画面を通して見た。「一体これは何を意味するのか」とテレビの周りに集まった人たちと話しているうちに、別の飛行機がビルに突入。誰かが「これは、テロだ」と言い出した。
大慌てで、当時勤めていた新聞社の同僚たちと一緒に社のビルに向かったことを覚えている。
ブッシュ米政権(当時)は、国際テロ組織「アルカイダ」を率いていたオサマ・ビンラディンを首謀者と断定し、01年10月7日、彼をかくまっているとされたイスラム主義組織タリバンが統治するアフガニスタンに侵攻した。米国主導の「対テロ戦争」の始まりである。
約3,000人の犠牲者を出した米国の衝撃と痛み、悲しみは世界中の人々の間で共有された。
しかし、「一体感」は次第に薄れてゆく。国際法から逸脱したとみられるブッシュ政権の行動に疑問が呈されるようになっていったからだ。
筆者にとって、米国と言えば「世界の警察官」であり、「正義」、「法の支配」と言った価値観が守られる国という印象があった。
しかし、そんな印象が崩れるような事態が起きてゆく。その最たる例がキューバ東南部のグアンタナモ湾にある米海軍基地に設置された、テロ容疑者専用の収容所であった。
さるぐつわ、目隠し、足枷のジャンプスーツ姿
1902年、キューバの対スペイン戦争に介入した米国は、独立を認める一方で、米国がキューバの内戦に干渉する権利と軍事基地保有権をキューバ憲法に修正条項として盛り込ませた。この条項を基に米国はグアンタナモ湾内の領土を賃貸し、海軍基地を建設している。2001年の9・11テロ後、02年1月から、米政府はアフガニスタンや隣国パキスタンなどでの対テロ戦で拘束した男性たちを次々と基地の一角にある収容所に送りだした。ピーク時には収容者は780人ほどに上ったと言われている。
報道された収容者の姿はあまりにも異様だった。オレンジ色のジャンプスーツに身を包み、目隠し、さるぐつわ、足枷をつけられたまま、看守に両腕を抱えられながら歩を進める収容者がいるかと思うと、戸外に設置された鉄条網の檻の中で、イスラム教の祈りを捧げる何人もの収容者たちもいた。
ジュネーブ条約、適用されないブラックホール
「正義の国」のはずの米国が、なぜこのようなことができたのか。ブッシュ政権の解釈によれば、拘束者は戦争捕虜の待遇を決めたジュネーブ条約が適用されない「敵性戦闘員」だ。従って、「被疑事実を告げぬまま無期限に拘束できる」ことになった。グアンタナモはキューバからの租借地という立地もあって、米国法も適用されず、拘束者たちは何年にもわたって「法のブラックホール」状態に置かれた。
人権保護団体などの報告によれば、収容者たちは殴るけるなどの暴力行為、睡眠妨害、冷たい室温の部屋で放置、大音量の音楽を強制的に聞かされる、手錠をかけての宙づり、水責め尋問などのほかに、「尊厳と宗教的信念を踏みにじる行為ー頭巾を被せる、裸にする、女性軍曹による性的虐待、コーランを汚す、踏みつけるなどの冒涜」などにさらされた(「人権保障の及ばない場-グアンタナモ基地でいったい何が起きているのか」、弁護士伊藤和子氏による報告)。拷問、と言ってよいだろう。
米国は拷問禁止条約を批准しているが、拷問については「極めて狭い独自の定義を採用し」一連の尋問テクニックを承認した(上記報告)。
映画化され、日本でも公開へ
グアンタナモ収容所に送られた男性の一人が、アフリカ大陸北西部に位置するモーリタニア出身のモハメドゥ・ウルド・スラヒ氏(50歳)だ。アルカイダのメンバーという疑いをかけられ、01年秋からヨルダン、アフガニスタンの米軍指揮下の秘密施設に拘留された。02年8月、グアンタナモへ。殴打、睡眠妨害、性的虐待に遭い、長時間の尋問を受けた。その尋問のすさまじさに、嘘の自白さえせざるを得なくなった。
「正義の国、米国でこんな扱いを受けるとは」。スラヒ氏は後にそう語っている。
グアンタナモに来て3年目の05年、米国人弁護士ナンシー・ホランダー氏がスラヒ氏を訪れる。弁護士の勧めでスラヒ氏は自分の身に起きたことを手記としてしたためた。
12年、手記は一般市民にも閲覧可能になったが、頁は黒塗りでいっぱいだった。手記は後に本として出版され、ベストセラーになる。
米連邦地方裁判所がスラヒ氏の釈放を命じたのは、2010年。しかし、米政府が控訴したため、実際に釈放されたのは2016年だった。
スラヒ氏の物語は『モーリタニアン 黒塗りの記録』として映画化され、日本では10月29日から劇場公開される。
テロ発生と、その後の戦争の記憶を大事に
9・11テロ発生から20年目となった今年、ニューヨークでは例年通り追悼式典が開催され、その様子は世界中で報道された。9月11日に向けて、筆者が住む英国の放送局は複数の特別番組を作って放送したほか、ネットフリックスもノンフィクション・シリーズ『ターニング・ポイント』を配信した。しかし、20年前の米国で起きたテロのことを、いま日本に住む若い人はどれほど強烈なイメージで認識しているだろうか。当時少なくとも中学生ぐらいでないと、記憶に残っていないのではないか。
9・11テロ後のアフガン戦争(01年)も、今夏、米軍や北大西洋条約機構(NATO)軍の撤収が大混乱を引き起こしたことで目を引いたが、それがなかったら、大きな話題にはならなかったかもしれない。
「テロの戦争」の一環として、米英が中心となり、国連決議なしに踏み切ったイラク戦争(2003年3月)が違法な戦争だったのではないか、という議論が盛んに行われたことを今思い出す人も少ないように思う。
しかし、世界の大国が国際法を軽視するような行動を起こすことがある、ということを2021年に生きる私たちは忘れてはいけないのだと思う。
『モーリタニアン 黒塗りの記録』には、フランスの有望若手俳優タハール・ラヒム扮するスラヒ氏が厳しい尋問や虐待を受ける、直視できない場面が出てくる。
しかし、映画はそのような衝撃的な場面よりも、スラヒ氏がなぜこのような処遇を受けたのか、なぜ釈放までに10年以上かかかったのか、そしてテロの戦争についての静かな怒りをより強く伝えてくる。
映画の中、そして実際のスラヒ氏は明るく楽天的で、救われるような思いがする。
モハメドゥ・ウルド・スラヒ氏(左)と弁護士ナンシー・ホランダー氏をタハール・ラヒムとジョディ・フォスターが演じている。
映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』より。
© 2020 EROS INTERNATIONAL, PLC. ALL RIGHTS RESERVED
グアンタナモ収容所はまだ存在している。30人強が未だ収容中だ。収容者の待遇は大幅に改善され、上記のような尋問テクニックはもう使われていないという。これまでに訴追されたのは10人程度で、ほとんどの収容者は訴追されることがないまま本国か第3国に移送されてきた。
バイデン米大統領はオバマ前大統領(在職2009-17年)同様、収容所を閉鎖予定だ。今年7月には、02年から拘束されてきたモロッコ人の男性1人を本国に送還した。
しかし、アフガニスタンでタリバンが復権した今、送還された収容者がイスラムテロに走る懸念も指摘されており、閉鎖が本当に実現できるのかが不透明となっている。
「戦争」の他の記事
-
戦争を伝え続ける
「“敵”の子どもたち」というドキュメンタリー映画を観ました。 母親と共にイスラム教に傾倒、改宗したスウェーデン人の娘が、ISIS(イスラム国)のメンバーと結婚し、子供も連れてシリ...
-
関口 宏
2023.08.01
-
-
漱石と「送籍」、奇妙な「才一」
「戦争論を唱えた新聞記者だけには是非とも一隊を組ませ、どこの戦闘にも前衛としてそれを使ふことにしたいものだ。」「欧州出兵論もまことに結構だが、どうかそんな場合には黒岩涙香君の...
-
君和田 正夫
2023.01.01
-
-
前77年・後77年
『77』 今年の夏はこの数字が印象的に語られました。 8月15日の炎天下、「玉音放送」がラジオから流され、国民が敗戦を知らされてから77年がたったのです。 私は2歳でしたから...
-
関口 宏
2022.09.01
-
-
80歳、酸欠日記④
日本はインフレ?デフレ?それともバクチ? 5、6月のウクライナ報道は解説・評論が防衛研究所のスタッフに占められ、使いまわし状態になっていることが問題になった。しかし専門家頼み...
-
君和田 正夫
2022.07.11
-
-
80歳、酸欠日記⑤
見逃した6時間12分 「ゆきゆきて、神軍」(1987年)で国際的に著名な原一男監督が昨年、公害病の代表、水俣病のドキュメンタリー映画「水俣曼荼羅」を公開した。6時間12分。 ぜひ...
-
君和田 正夫
2022.07.11
-
-
ルガンスクとドネツクは偽装国家だ
ークレムリンを激怒させたトカエフ・カザフスタン大統領の実力ーサンクトペテルブルグで開かれたロシア政府主催の国際経済フォーラムで、6月17日、プーチン大統領は、欧米の経済制裁は完全な失敗で、燃料や食糧の高騰を招いただけであって、西側各国の経...
-
武隈 喜一
2022.07.01
-
-
ウクライナ・ナワリヌイ・コロナの夏
今年も半年が過ぎ、新型コロナを抱えつつ、まだ収まらぬウクライナでの戦争に神経をとがらせる2022年の夏になります。 ロシアがウクライナに侵攻を始めて4カ月。劣勢と思われるウク...
-
関口 宏
2022.07.01
-
-
オピニオン 池田健三郎(経済評論家)に聞く②
日本でのコロナ・オミクロン株での第6波はピークを打ったものの感染者数は高止まりが続く中、2月24日のロシアの突然のウクライナ侵攻。 早期決着の声を覆し、2ヶ月の長期戦にな...
-
池田 健三郎
2022.06.01
-
-
抑圧を跳ね返すメディア
「報道の自由」と聞いて、皆さんはどんなことを思い浮かべるだろうか。 欧州のメディア会議に出るうちに、筆者は報道の自由が侵害される実例を知ることになった。 権力者から訴...
-
小林 恭子
2022.06.01
-
-
オピニオン 池田健三郎(経済評論家)に聞く
日本でのコロナ・オミクロン株での第6波はピークを打ったものの感染者数は高止まりが続く中、2月24日のロシアの突然のウクライナ侵攻。 早期決着の声を覆し、2ヶ月の長期戦にな...
-
池田 健三郎
2022.05.02
-
-
「冷戦の始まり」とウクライナの今
ついこの間まで、私たちは「冷戦は終わった」と思っていた。しかし、本当に終わっていたのだろうか。 ロシアによるウクライナの侵攻開始から2カ月余がたつが、英国に住む筆者が頻繁に...
-
小林 恭子
2022.05.02
-
-
悪い円安、悪いインフレ
「悪い円安」をめぐる議論が盛んになってきた。輸入品の値上がりを軸とする「悪いインフレ」の要因として懸念されている。この状況が映し出しているものは何か、誰がどんな対策を打つべき...
-
小此木 潔
2022.05.02
-
-
ウクライナ戦争の衝撃
「まさか、こんなことが欧州で発生するとは」。2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻は、筆者を含む欧州在住者にひときわ大きな驚きと衝撃を与えた。 欧州内での戦争は第2次世界大...
-
小林 恭子
2022.04.01
-
-
プーチン・デジャブ
まるでデジャブ(既視感)を体験しているようなここ1ヶ月です。このメディア塾3月号のコラムをアップした2月末の段階では、ロシアのウクライナ侵攻はまだ始まっていませんでした。それがあ...
-
関口 宏
2022.04.01
-
-
経済制裁とデモがロシアを変える
ロシア軍によるウクライナ侵略をやめさせようと、欧州連合(EU)と米英などは2月26日、これまでよりも強力な経済制裁の措置として、ロシアの主要銀行を「国際銀行間通信協会」(SWIFT)か...
-
小此木 潔
2022.03.01
-
-
ゾンビ国家群の誕生 ソ連のウクライナ侵攻
ウクライナは、ロシア「平和維持軍」のおかげで平和になるのでしょうか?ドネツクとルガンスク地方は今後、誰も承認してくれないゾンビ国家として、存続し続けることになるのでしょうか?...
-
河東 哲夫
2022.03.01
-
-
「地雷を踏んだら、サヨウナラ!」
戦場カメラマン一ノ瀬泰造(1947年11月1日 - 1973年11月29日)の「地雷を踏んだらサヨウナラ」から。 (10月28日に沢田教一、9月7日に後藤健二、5月27日に橋田信介各氏の言葉) 「...
-
独立メディア塾 編集部
2021.11.29
-
-
「女ごころに咎(とが)ありや」
大塚楠緒子(1875年=明治8年8月9日 ~ 1910年11月9日)は明治末期に活躍した歌人、作家。日露戦争に出征した夫を思う長詩「お百度詣で」が反戦歌、厭戦歌として批判された。上掲の歌はそ...
-
独立メディア塾 編集部
2021.11.09
-
-
「戦闘はいよいよ激しさを加えている。夏空はどこまでも澄んでいる」
(戦争文学「ベトナム戦争 17度線の激戦地を行く」から)戦場カメラマン沢田教一(1936年2月22日~1970年10月28日)はUPIサイゴン特派員としてベトナム戦争を取材。1970年10月28日、プノンペン近郊で襲撃され死亡した。34歳。 (11月29日に一...
-
独立メディア塾 編集部
2021.10.28
-
-
「広島と長崎で五輪が実現すれば素晴らしい」
坂井義則(1945年8月6日 ~2014年9月10日)は1964年10月10日の東京五輪開会式で聖火リレーの最終走者として聖火台に点火した。広島に原爆が投下された8月6日に生まれた「原爆の子」であり...
-
独立メディア塾 編集部
2021.10.10
-
-
「憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。―そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」
フリーランスジャーナリストだった後藤健二(1967年9月22日~2015年1月30日、47歳)は「イスラム国」に拘束され、殺害された。生前の2010年9月7日に後藤が残したこのメッセージは多くの共...
-
独立メディア塾 編集部
2021.09.07
-
-
「先に行くよ」「お母ちゃん」
1945年8月6日に広島、そして9日に長崎に原爆が投下。死を目前にした中学一年生が国粋主義にまみれた和歌を口にし、「お母ちゃん」と絶叫する。様々な記録や文学作品が残されている。『いし...
-
独立メディア塾 編集部
2021.08.06
-
-
コロナ・オリンピック・そして8月
毎年、うだる暑さの中で、8月6日広島の日、8月9日長崎の日、そして8月15日終戦の日を思い起こしてきた日本人。今年はそこにコロナとオリンピック・パラリンピックも重なり、どんな8月にな...
-
関口 宏
2021.08.01
-
-
戦場フォトグラファー青木弘氏に聞く「アフリカ」3
キャプション 1.紛争地での取材 大先輩長倉洋海さんとアフガニスタンのゲリラ司令官マスードの交流 2.中央アフリカ共和国の人々 3.アフリカの世界観 4.世界を救う第一...
-
スペシャリスト トーク
2021.01.01
-
-
戦場フォトグラファー青木弘氏に聞く「アフリカ」2
キャプション 1.アフリカ渡航前の印象 2.アフリカの大地と人々との交流 3.アフリカ大陸のコロナ事情 4.アフリカ大陸の中心「中央アフリカ共和国」との出会い ...
-
スペシャリスト トーク
2020.12.11
-
-
戦場フォトグラファー青木弘氏に聞く「アフリカ」1
出演 : 青木 弘 1976年鳥取県出身、横浜市在住。写真家の武政義夫氏に師事。英国への留学を経て2002年よりフリーランスとして活動を開始。2008年青木弘写真事務所設立。現在、中東...
-
スペシャリスト トーク
2020.12.01
-
-
75年の節目
コロナ、プラス猛暑の8月が終りました。猛暑はいずれ治まってくれるでしょうが、コロナはどうなって行くのでしょうか。 過ぎた8月を振り返れば、8.6「広島の日」、8.9「長崎の日」、...
-
関口 宏
2020.09.01
-
-
原爆と和歌と生徒
中学一年生が死を目前にして国粋主義にまみれた和歌を口にし、「お母ちゃん」と絶叫する。なんともつらいシーンです。1945年8月6日に広島、そして9日に長崎に原爆が投下されました。体験談...
-
独立メディア塾 編集部
2020.08.07
-
-
戦争で亡くなった人を忘れない
8月15日、日本は第2次大戦終了から75年周年を迎える。 欧州の終戦日は、ドイツが連合軍に無条件降伏し欧州内での戦いが終結した日となる5月8日である。過去10年ほど、筆者と家人は毎年...
-
小林 恭子
2020.08.01
-
-
天皇のお言葉と人間宣言
天皇はご自身のことを「朕(ちん)」といった時代がありました。「朕」というのは広辞苑によると、「『天子』の自称。古く中国では一般に『われ』の意に用いたが、秦の始皇帝に至って天子...
-
独立メディア塾 編集部
2020.01.19
-
-
戦争で五輪は5回中止になった
オリンピックは過去5回も中止になっています。中止の理由はすべて戦争です。そのうち日中戦争や第二次世界大戦といった日本が関係している戦争で4回も中止になっています。辛くて悲しい歴...
-
独立メディア塾 編集部
2020.01.09
-
-
音楽は軍楽隊から始まった
音楽は軍楽隊から始まった 「君が代」の最初の作曲者は外国人でした。「えっ、そうなの?」「そうなんです」。「君が代」が初演奏されたのは明治3年(1870年)。作曲者は横浜に駐留してい...
-
独立メディア塾 編集部
2020.01.08
-