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「おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい」

 独立メディア塾 編集部

 中原中也(1907年4月29日~1937年10月22日)は詩人、歌人、翻訳家。30歳で没。心を病み鎌倉に移り住んで書いた最後の四行詩。生前はほとんど無名だったが、没後日本を代表する詩人として高い評価を受けている。

 中原中也は山口県湯田生まれ。1923年、京都の立命館中学校3年に編入し、下宿生活を送った。このころからダダイズムに傾倒、詩を作り始めた。3歳年上の女優・長谷川泰子と同棲したが、泰子を文芸評論家の小林秀雄に奪われた。大学時代から中原を知っていた小林は、3人の関係を振り返ってこう書いた。
 「私は彼(中也)の情人(泰子)に惚れ、三人の協力の下に(人間は憎しみ合うことによっても協力する)奇怪な三角関係が出来上がり、やがて彼女は私と同棲した。この忌まわしい出来事が、私と中原の間を滅茶々々にした」(小林秀雄「中原中也の思い出」)。
 小林は「死んだ中原」というタイトルの文章を書いた。
「ああ、死んだ中原
 僕にどんなお別れの言葉が言えようか
 君に取り返しのつかぬ事をして了(しま)ったあの日から
 僕は君を慰める一切の言葉をうっちゃった」

 長谷川泰子は時事新報主催の「グレタガルボに似た女」に応募し、一等になった。中原の死後、彼女は著書の中で「中原のことは大岡昇平さんが長年書きつづけられたから読者がふえていったのでしょうが、そこに書かれた私は男から男へ移った女のように描かれていてどうも気まりが悪いんです」「熱烈な(中原)ファンによって脅されることもありました」と回顧している(「中原中也との愛 ゆきてかへらぬ」)。
 さらに中也を苦しめたのは長男の死だった。1934年、文也が生まれたが、36年死亡。葬儀では遺体を抱いて離さなかった。
 死の前に「山羊の歌」や「ランボオ詩集」が出版された。詩はいまも人の心をとらえ、新聞のコラムに引用される。「思えば遠く来たもんだ」(2021年4月30日、日本経済新聞「春秋」)、「軽くあがった二つの気球…(同4月29日、読売新聞「編集手帳」)」。
 生まれ故郷を詠んだ代表作「帰郷」は山口市の湯田温泉の碑に刻まれている。字は小林秀雄による。
 「これが私の古里だ
  さやかに風も吹いてゐる
  心置きなく泣かれよと
 (年増婦の低い声もする)=碑はこの部分を削除している
  あゝ おまへはなにをして来たのだと…
  吹き来る風が私に云ふ」

 表題の詩は「四行詩」と題する中也最後の詩だ。
 「四行詩」
  「おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
 煥発(かんぱつ)する都会の夜々の灯火を後に、
 おまへはもう、郊外の道を辿(たど)るがよい。
 そして心の呟(つぶや)きを、ゆっくりと聴くがよい」

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